貯金を切り崩し、通勤快速2号(と言いながら通勤に使えなくなっている...)の前後タイヤと自賠責保険(5年)、MOTUL300V(10W40)2本、ミニモトのフロントタイヤ、BUBUのバッテリーを一気に購入。
まだ、油冷Machineのリアタイヤが残っているが後回し。
後回しにしたはいいものの、ワインディングではこの路面温度でも若干スライドするので何とか早くお金を工面しないといけない...
唯一ありがたいことに自賠責保険がグッとプライスダウンされて、28060円が22510円に!。これは助かる。ただ、ミニモトと同じ年での更新のため、同じく緑色...。全く車体に合っていない。
とりあえずは通勤快速2号のリアタイヤ交換と、BUBUのバッテリー交換を済ませる。
2019年6月2日日曜日
番外その45(非日常的な引っ越しその4)
久々の引っ越し。
何年も前にツバを付けていたミニキャブを急遽月末までに撤収してくれと依頼が入る。
あいにくの雨だがいつものメンバーで作業に取り掛かる。
チェックしてみるとタイヤチューブが2本裂けており、生きているタイヤをフロントへまわして、そのまま引きずって後方へ引っ張り出すことに。
車庫が倒伏しかけており、近くにあった柱を使ってジャッキで押し上げ固定。
後輪二輪は潰れた状態で引きずり、前二輪で方向転換しながら引っ張り出す。
柿の木を持ち上げ何とか入り口まで到達。
今度は前二輪を後ろに付け替え、フロントは助手席後ろにあったスペアタイヤとすぐ抜けるが多少転がす程度なら持つタイヤを使ってササッとトレッカーに載せる。
秘密基地へ到着後、濡れついでに軽く洗車。
このミニキャブ、車検ステッカーは昭和55年4月、自賠責ステッカーは昭和50年4月のまま、走行距離は14000km程度で、新車時の注意書きのタグまでぶら下がっている。
助手席は透明カバーがかかったままで、ドアの内装もビニールが綺麗に残っている。
廃車証もあり、ボディも腐っていないので絶好のレストアベース。
何年も前にツバを付けていたミニキャブを急遽月末までに撤収してくれと依頼が入る。
チェックしてみるとタイヤチューブが2本裂けており、生きているタイヤをフロントへまわして、そのまま引きずって後方へ引っ張り出すことに。
車庫が倒伏しかけており、近くにあった柱を使ってジャッキで押し上げ固定。
後輪二輪は潰れた状態で引きずり、前二輪で方向転換しながら引っ張り出す。
柿の木を持ち上げ何とか入り口まで到達。
今度は前二輪を後ろに付け替え、フロントは助手席後ろにあったスペアタイヤとすぐ抜けるが多少転がす程度なら持つタイヤを使ってササッとトレッカーに載せる。
秘密基地へ到着後、濡れついでに軽く洗車。
このミニキャブ、車検ステッカーは昭和55年4月、自賠責ステッカーは昭和50年4月のまま、走行距離は14000km程度で、新車時の注意書きのタグまでぶら下がっている。
助手席は透明カバーがかかったままで、ドアの内装もビニールが綺麗に残っている。
廃車証もあり、ボディも腐っていないので絶好のレストアベース。
2019年5月26日日曜日
番外その44(トリプル)
事もあろうに3本揃ってスリップサイン。
油冷Machineはフロントのα14とリアの BT016、通勤快速2号(4月から不使用...)はリアのBT39。2号はフロントも硬化しつつあるのでこの際、まとめて4本替えたいところだがどこにもお金がない...
幸い、路面温度が高くなってきてグリップ力が増す季節なので、この際、秋頃までスリック状態で何とか持ちこたえさせるか...
油冷Machineはフロントのα14とリアの BT016、通勤快速2号(4月から不使用...)はリアのBT39。2号はフロントも硬化しつつあるのでこの際、まとめて4本替えたいところだがどこにもお金がない...
幸い、路面温度が高くなってきてグリップ力が増す季節なので、この際、秋頃までスリック状態で何とか持ちこたえさせるか...
2019年5月18日土曜日
物欲その119(千代田火のし)
火のし最大手「千代田」。
旧家から出てきたものを仕入れる。
木箱の焼印といい紐といい時代を感じさせる。
銘板は発明者の津川氏銘と、販売元の阿部彦四郎商店が刻印されている。
明治44年の広告に同じ型式の火のしが紹介されているので、少なくとも108年の時を経ている。
重量は1.8kgちょっとあるため二号形ということがわかる。
昭和12年当時の資料を見ると仕様はほとんど変更されていない感じ。
木製の蓋に金具が取り付けてあり、蓋を裏返して火のしを置くようになっている。
時代が新しくなると銘板が鋳物になるが、これは時代が古く陽刻のアルミプレートを釘でとめている。
空気調整箇所のデザインは質素。
保管状態がよく鮮やかな紅色が残っているのが嬉しい。
以前紹介した小町と比較してみる。
旧家から出てきたものを仕入れる。
木箱の焼印といい紐といい時代を感じさせる。
銘板は発明者の津川氏銘と、販売元の阿部彦四郎商店が刻印されている。
明治44年の広告に同じ型式の火のしが紹介されているので、少なくとも108年の時を経ている。
重量は1.8kgちょっとあるため二号形ということがわかる。
昭和12年当時の資料を見ると仕様はほとんど変更されていない感じ。
木製の蓋に金具が取り付けてあり、蓋を裏返して火のしを置くようになっている。
時代が新しくなると銘板が鋳物になるが、これは時代が古く陽刻のアルミプレートを釘でとめている。
空気調整箇所のデザインは質素。
保管状態がよく鮮やかな紅色が残っているのが嬉しい。
以前紹介した小町と比較してみる。
2019年5月6日月曜日
物欲その118(黒電話)
電話の短冊看板があったのを思い出し、少し物足りなかった柱部分に貼り付けてみた。
すると、「どうせなら電話も置かないと」との天の声が…
早速、持っていそうな知人宅へ駆け込むと4号の黒電話があったのですぐさま譲ってもらう。
これは昭和25年からの仕様で、正式名称は4号自動式卓上電話機というらしい。
ちょうどよい木切れも見つかり、棚受け金具と木用ネジを100円ショップにて調達。
木切れをちょうどよい奥行きに切断し、棚受け金具を取り付ける。
少し物足りなかった柱部分が一気にグレードアップ。
すると、「どうせなら電話も置かないと」との天の声が…
早速、持っていそうな知人宅へ駆け込むと4号の黒電話があったのですぐさま譲ってもらう。
これは昭和25年からの仕様で、正式名称は4号自動式卓上電話機というらしい。
ちょうどよい木切れも見つかり、棚受け金具と木用ネジを100円ショップにて調達。
木切れをちょうどよい奥行きに切断し、棚受け金具を取り付ける。
少し物足りなかった柱部分が一気にグレードアップ。
2019年5月5日日曜日
物欲その117(ちゃぶ台)
今年で13回目を迎える昭和レトロイベント。
何回目かまではカラー刷りのハガキでお知らせが来ていたが、毎年同じ日の開催というのが周知されたこともあってか、ハガキやメディアを通しての告知がなくても興味のある人は自然と集まってくるようになっている。
ただ、新鮮味も薄れ、一時期は通りを埋め尽くすほどの旧車展示もあったがそれも数年前からなくなり、規模としては年々縮小されていっているのが少し寂しく感じるところ。
例年、骨董市が開かれていて、昨年は欅の1枚もののちゃぶ台を500円値切って3500円で購入。
今年は訪れて早々、それを覚えていた年配の知人から「昨年は欅のいいちゃぶ台を安く仕入れたなぁ」なんて声をかけられる。
今年は特に掘り出し物はなかったが、お馴染みのマニアやコレクターさんとの顔合わせができるのもイベントの魅力の1つ。
ベレットGT乗りのI氏、腕木式ウインカーのジープ乗りのF氏、ホンダS600乗りのN氏、貴重なコレクションを終活で手放した御年80歳ほどの長老Y氏、レトロ自転車ミニミュージアムを運営するH氏、750マッハ乗りのN氏、発動機コレクターのT氏など、久々に会う知り合いとの会話にも花が咲く。
これが昨年仕入れた欅のちゃぶ台。
直径は73cm、天板の厚さは3cmあり、重量は12kg弱。
そう簡単にはひっくり返せない。
何回目かまではカラー刷りのハガキでお知らせが来ていたが、毎年同じ日の開催というのが周知されたこともあってか、ハガキやメディアを通しての告知がなくても興味のある人は自然と集まってくるようになっている。
ただ、新鮮味も薄れ、一時期は通りを埋め尽くすほどの旧車展示もあったがそれも数年前からなくなり、規模としては年々縮小されていっているのが少し寂しく感じるところ。
例年、骨董市が開かれていて、昨年は欅の1枚もののちゃぶ台を500円値切って3500円で購入。
今年は訪れて早々、それを覚えていた年配の知人から「昨年は欅のいいちゃぶ台を安く仕入れたなぁ」なんて声をかけられる。
今年は特に掘り出し物はなかったが、お馴染みのマニアやコレクターさんとの顔合わせができるのもイベントの魅力の1つ。
ベレットGT乗りのI氏、腕木式ウインカーのジープ乗りのF氏、ホンダS600乗りのN氏、貴重なコレクションを終活で手放した御年80歳ほどの長老Y氏、レトロ自転車ミニミュージアムを運営するH氏、750マッハ乗りのN氏、発動機コレクターのT氏など、久々に会う知り合いとの会話にも花が咲く。
これが昨年仕入れた欅のちゃぶ台。
直径は73cm、天板の厚さは3cmあり、重量は12kg弱。
そう簡単にはひっくり返せない。
2019年4月29日月曜日
物欲その116(東京モーターショー)
63年前の今日、閉幕した第3回自動車ショー(現在の東京モーターショー)の当時の記事がこちら。
第1回と第2回の出品表が掲載されているが、まだ普通車が一般的でなかったことが見て取れる。
これは開催当初の1954年から現在まで用いられているモーターショーのマーク。
発案はモーターショー設立委員である片山豊氏、描画は板持龍典氏が担当したそうで、月桂冠を頭に力強い男子が1つの車輪を右手で回そうとし(アクセル)、左手で制動(ブレーキ)している姿を表しているとのこと。
第1回東京モーターショーでの巨大なモニュメント。
これは1958年の第5回東京モーターショーで入場者か関係者等に配布されていたピンバッヂ。
第5回は会場を日比谷公園から後楽園競輪場に移し、会期も新車発表のシーズンに合わせて春から秋に変更された。
数日後に退位を迎える天皇が皇太子時代に見学に訪れている。
ドアをシースルーにしたヒルマンミンクスの展示や
スバル360の吊り下げ展示が目を引いた。
これは翌1959年の第6回東京モーターショーで配布されたピンバッヂ。
毎年、形やデザインは変更されており、おそらく第6回で初めて七宝焼のものがお目見えした。
この年は裏面にも陽刻が施してある。
第1回と第2回の出品表が掲載されているが、まだ普通車が一般的でなかったことが見て取れる。
これは開催当初の1954年から現在まで用いられているモーターショーのマーク。
発案はモーターショー設立委員である片山豊氏、描画は板持龍典氏が担当したそうで、月桂冠を頭に力強い男子が1つの車輪を右手で回そうとし(アクセル)、左手で制動(ブレーキ)している姿を表しているとのこと。
第1回東京モーターショーでの巨大なモニュメント。
これは1958年の第5回東京モーターショーで入場者か関係者等に配布されていたピンバッヂ。
第5回は会場を日比谷公園から後楽園競輪場に移し、会期も新車発表のシーズンに合わせて春から秋に変更された。
数日後に退位を迎える天皇が皇太子時代に見学に訪れている。
ドアをシースルーにしたヒルマンミンクスの展示や
スバル360の吊り下げ展示が目を引いた。
これは翌1959年の第6回東京モーターショーで配布されたピンバッヂ。
毎年、形やデザインは変更されており、おそらく第6回で初めて七宝焼のものがお目見えした。
この年は裏面にも陽刻が施してある。
これは記念すべき第1回のもので「TOKYO」が入っていない。
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